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アナログの感覚

beko

この記事は1年以上前に書かれたもので、内容が古い可能性がありますのでご注意ください。

皆さんは最近、鉛筆を使って絵を描いていますか?
CGみたいにPC上に絵を描いたりしてものをつくるのもおもしろいですが、実際に鉛筆を手にとってに真っ白なキャンバスに絵を描いていくのもたまりません。
CGはソフトだけ使えればいいと言うわけではなく、実際にものを描く力が必要です。現に最近の3DCG業界ではデッサン力というものが非常に重視されるようになってきており、ソフトは使えないけど絵が描けるので採用されたと言う話もよく耳にします。

そんな情報を耳にしたからには、やはり勉強しなければと言うことで、最近デッサン教室に通い始めました。普段PCを使っている私にとって、いざ鉛筆を手にとってキャンバスに絵を描くというのはかなりの至難の業で、思ったような線がひけません。
けど久々に味わうこのアナログの感触はたまりません。

皆さんもたまには鉛筆を手にとって、絵を描いてみてはどうでしょうか?
「ハッカーと画家」と言う本があるように、プログラマーの人にも良い刺激になると思います。

高橋

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2 responses to “アナログの感覚”

  1. 企業人 says:

    デザイナーから送られてきた画像をAIで開くと、なんとまあイジリまくった跡が。。。
    外資系日用品メーカーで品質保証を担当していますが、パッケージの魅力も保証することになって独学人間工学系の私にそのお役目が回ってきました。ヒューマンファクターの知見からの事故調査から、エルゴノミクスの観点でのパッケージ評価までを「人間工学」という領域の範疇として1企業人にカバーさせる会社の乱暴さにはほとほと呆れましたが、嬉しくもありました。
    まだ半年しか監修していませんが、すでにデザイナーの限界が見えてきました。きっと彼らは僕らが思っているデザイナーではなくMacオペレーターに過ぎないのです。
    彼らが提案してくるデザイン案はどれもそれっぽいのですが、どうもホンモノではない。色彩計画も可読性とか識別性といった機能を盛り込むことなく、すべてをセンターに合わせてトーン・オン・トーンにしてカッコよくしてくるので、ウチの会社の若輩者はまんまと騙され、企業人は毛嫌いされる始末です。
    サントリーの伊右衛門のロゴは手書きで味があります。だからこのブランドは長続きするんだと思っています。BOSSしかりです。絵心なしにあのキャラクターは創造できないでしょう。
    ホンモノのデザインは簡単には真似できない。どうMacをイジっても、近づけはすれど同じ「味」が出ない。「味気ない」という言葉は言い得て妙で、初めからMacに向かってチョチョイノチョイで作ったものには無機質なイメージがついて拭えないのです。
    知り合いにホンモノのデザイナーさんがいますが、彼曰く「ぱっと観れば、Macユーザーにはわかりますよ。ああ、Macでああやってこうやってああしたんだって」僕はAIの使い方を知らないし(知らないで添削したらスゴイことになってしまった)疲れるのでPhotoShopで代替案を作りますが、フォントサイズも一律で使ってもかまいませんが、できれば字間や文字幅、高さも一字一字合わせてもらいたいですね。それがデザイナーの“シゴト”じゃないかと思うんですけど。どうでしょう。少なくともクライアントがやることじゃないですよね。
    まずはウチの若輩者に真贋を見極める能力を身につけてもらうことと(その前に、企業人の人権復活)、デッザンくらいできるデザイナーが業界を席巻することを祈ってやみません。
    医学生だってこの時代にあって肺のレントゲン写真をデッサンして病巣を見つける訓練をするんですから。

  2. 企業人 says:

    追記)
    つまり、デッサンをしない人は細部の違いが認識できないし、こだわろうともしないのです。
    デザイナーとクライアントのどちらが悪いかといった「ニワトリとタマゴ」のような話になりますが、デザイナーさんのほうでナントカしてください。こちらはこちらで頑張ります。
    幸い僕は学生時代に授業中に菓子箱に印刷された果実などをデッサンしてましたので(最近部屋掃除していたら「作品」が発掘されました。家内に初めて高く評価されました。人格を含めて)「なんかイイ」と言ったときのその「なんか」が人より少しわかります。ただ、十人いれば十のセンスがあって、みんながみんな自分の価値観や真贋を見極める目を持っていらっしゃるので「いや、それは違う」とか、デザインの定番、デザインの教科書を否定するような基本的なところで反論されることがあります。誘目性とか補色の効果をバッサリ否定されると、自分の信頼性のなさをしみじみと感じます。