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理解するということ

beko

この記事は1年以上前に書かれたもので、内容が古い可能性がありますのでご注意ください。

無機質の象徴
ソフトウェア設計には、それが取り扱うモノ (あるいはその性質や振る舞い) を如何にしてデータとして表現するかを考える「モデル化」という工程があります。

「モデル」には、対象が持つすべての情報を包含させることはできない (し、その必要もない) ため、本質でない部分は削り、扱い易いように上手く単純化しなければなりません。
同じ対象をモデル化する場合であっても、システムの用途が違えば、異なるモデルに仮託されます。
例えば、同じ「人」のモデルであっても、図書館の利用者データベースと、病院の患者データベースは異なる形式になるはずです。

さて、これがソフトウェア開発だけの話かと言うとさにあらず。
私たちの脳が世の中を「認識」する仕組みについても殆どことが言えます。
即ち、人間が「理解」する (できる) ものは、対象「そのもの」ではなく、それを観測することで脳内に構築された「モデル」だということです。
ある対象を見たとき、それをどう理解するか。
言い換えれば、対象からどのようなモデルを構築するか。
その方式 (アルゴリズム) こそが、人間の能力の本質であり、個性だと言えるでしょう。

……以上、プログラマは、概ねこんな感じで「世の中」を認識しているというお話でした。

担当: 成田 (頭の中でも関数コール)

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