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リアルとかバーチャルとか

beko

この記事は1年以上前に書かれたもので、内容が古い可能性がありますのでご注意ください。

コンピュータシステムの中で表現された「もの」は、物質として存在する「現実 (reality)」と対比して「仮想 (virtuality)」 と呼ばれます。
多くの場合、両者の境界はあまりにもはっきりしている (ように思える) ため、これらは普遍的に明確に区別できるものである、という考えに疑問を持つ人は多くはありません。
しかし、「では、”現実” とは何か?」という問題を突き詰めて考えていくと、われわれが「現実」「仮想」と呼んでいるものの隔たりは非常に曖昧で不確かなものであることがわかります。

例えば、あなたが手を置いている机 (あるいはマウス) が、「本当に」そこに存在しているという証拠がどこにあるでしょう?
触覚は、指先に加えられた圧力が信号となって神経を伝わり、脳がその情報から構築した感覚に過ぎません。
これと同様、視覚も、目の中の錐体細胞が受け取った光が神経を伝わり、その信号を受け取った脳が作り出したものです。

つまり、私たちが考える「現実」というものは、実は個々人の脳が作り出したイリュージョン、すなわち「仮想」のひとつでしかありません。
この「現実」という仮想と他の仮想との差は、情報量の多寡あるいは、私たちの脳に信号がたどりつくまでのステップ数でしかないわけです。

まして、コンピュータが作り出す「仮想」がいまやモニタを通り抜け、社会に無視することのできないほどの影響を与えている現在では、「仮想と現実が明確に区別できる」という認識 (あるいは願望) こそが幻想と言えるかもしれません。
これは、「現実」に無価がないということではなく、現実と仮想が厳密に区別できない状況においては、「現実である」あるいは「仮想である」といった要因がモノ・コトの価値を左右しなくなるということです。

ただ、世の中には、そのような世界を「シンプルで素晴らしい」と受け取る者がいる一方で、「味気なくてつまらない」と感じる人もいる (むしろこちらが主流) ため、この「現実」と「仮想」の境界はある程度の幅をもってぼやけながらも、私たちの世界に存在し続けると考えられます。

成田 (わりかしサイバーパンク)

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