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猫と私

beko

この記事は1年以上前に書かれたもので、内容が古い可能性がありますのでご注意ください。

画像は猫。名はノリスケ、だが雌である。

 猫の語源と言われる「寝子」の例に漏れず、彼は万年寝ている。画像からも見れるように非常に幸せそうである。しかし、本当に彼は幸せなのだろうか?それは彼に聞かなければ分からない。 主のほとんどはきっと幸せなのだと、自分に都合の良い解釈をして隣にいる事を許し、和む傾向がある。(そうでなければ猫は飼えない) これは猫と言葉が通じない為に成り立つ、自分の都合の良いを関係ではないだろうか。

 お互い、猫が人のあり方、言動を理解しているものとする。仕事している隣で日々の不満や「眠い」「暇ぁ」と現状話されたうえ、隣で寝られたら、恐らく私は寝ているこの猫に油性ペンで眉毛の一、二本は書いてしまっているだろう。そして、書かれた眉毛に彼は理解し、驚くだろう。 それとも愚痴自体を自粛し、空気を読む人間に近くなるのだろうか? いずれにしても今の関係は無理そうだ。

 現実の彼はこちらの事をつゆ知らず、隣で寝ている。 私からは雌に男の名前を雌に割り当て、人からすると異常な事を猫に行っている。人ならば何かしらコンプレックスや命名主への恨み等が出るものだが、彼は猫であり、それが分からないからこそ今の関係を保つことができる。そんなお互い通じない(知らない・分からない)でできる好き勝手な関係である。

# 人語を脳で理解し喋ってしまったら、それはもはや猫ではない。

 そして、人と人との関係は言葉が通じる以上、お互い勝手に都合の良い解釈をすることは許されない。
仕事上では特に。

担当: カロ藤 (言いたい事は言った方が良い)

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