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Eyes, JAPANでは毎週木曜日のミーティングに各員持ち回りで勉強会を行ってい
ます。目的はプレゼンテーションの練習も兼ねた知識の共有。学生の頃も社会人になっても、この慣習は良い刺激です。

昨日はアルバイトスタッフS氏により”周りで繰り広げられる議論が論理的でないが議論が成り立っている(ように見えてしまう)ことが多い”と言った意味で、「欺瞞に満ちている世界」というタイトルのプレゼンテーションをしてもらい、非常に有意義な時間を過ごさせて頂きました。ありがとうございました>S氏

(以上、前フリ)
さて、議論(あり方等)の話題があると必ずと言っていい程「人間性」のお話が出てきますので、人間性のお話でも少し。

私はシステマティックな (論理に基づき系統だった) お話を続けた場合、実経験上「非人間的である(幸い侮蔑ではないですが)」云々といった類いの言葉を頂戴しているため、程々にしている昨今です。法律などのシステムに基づき色々な人の対応を行う警察官の方は、そういった意味で本当に大変な仕事だと思います。

A: 「スピード違反です」
B: 「会社に間に合わないです」
A: 「もっと早く起きなさい」
B: 「貴方には人情ってものないのかね?」※
A: 「さぁ、早く乗って乗って(パトカーに)」
・・・毎日繰り返されたら頭痛くなるシチュエーションです。お疲れ様です。

ところでここで出る「システム」(スピード規制)への反論として使われる「人間性」(人情〜云々) ですが、システムに基づく側へ著しい不快を与えている場合、発した人間は人間としてどうなのでしょうか?と思うのです。「人間性」自体が曖昧であり、言葉として発すれば己の都合でそれっぽく使える為、便利と思います。しかし、場を分からず使う事は己をおとしめる事となりる為、あまり使わない方が良いかなと思うこの昨今です。

担当: カロ藤 (※ストローマン論法を使って負ける例)

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