Eyes, JAPAN Blog > 人一人にできる事は実に無力

人一人にできる事は実に無力

kato

この記事は1年以上前に書かれたもので、内容が古い可能性がありますのでご注意ください。

皆様ご無事でしょうか。
ここ1週間、無力感に苛まれています加藤でございます。
被災地に親類が集まっていまして私も不安な日々を過ごしておりましたが、幸い連絡もとれまして無事を確認できました。
さて、思い返せば連絡がつかない時期は飛び出したいこと抑えつつ悶々とテレビを見続けました。
ただ、現地に向かいたい、とは衝動的に思ったものの震災後に今更飛び出したとしても結局のところ

  • 道路や燃料事情の道中足止め
  • 備蓄/配給食料の消費量の悪化

更なる迷惑を産むのが関の山と考え、思いとどまりました。
お互い近くにいるという言葉に出来ない安心感には変えられないのかもしれませんが、現実は非常に難しいことは容易に想像がつきます。
まず離れた我々にできる事は、

  • 己れを知ること
  • 複数の情報収集と吟味 (あえて”正しい”とは書きません)
  • パニックに陥り状況に流されない、つまりは落ち着く事
  • 震災場所の無事を祈ること
  • 募金を行うこと

位しか出来無いと思うのです。(続く)

上記の項目で実際の被災地へのはたらきかけが「お金」のみに関しては「人間味が無い」「汚い」等のイメージが強いと感じられるのかもしれません。
ただ状況としてはお互い柔軟に動かせるものが「お金」でして、結局物を用意する為の何が必要かを考えると何をするべきかはうっすらと分かります。
それ以上のことは、自身が何かしらのプロフェッショナルであること、行政や大規模のグループが被災地の為に送るものを纏めるような事がない限りは非常に難しいものです。
ですので、確実な大規模のグループを見つけて参加し、活動するのであればそれも出来る事の一つかと思います。
個人でお金のみの解決に人間味が無いと思われる方については「(無力感から)実際体を動かす責務」「集まれば何でもできそう」「おもいやり」を基本になっているものと想像します。
ならば、こちらも「おもいやり」を込めて募金すればいいのではないでしょうか・・・働いたお金、生活費を少しでも募金すればいいんじゃないですか・・・それが集まればいいんじゃないですか・・・と私は考えます。

まずは落ち着いて自分に「何を出来るか」を考える必要があります。
自分にしかできない、自分に出来る事で思い当たる事があって、実際に足をはこぶ結論であればそれは正しい事です。
その際、地震の頻度は少なくなっていますが、それでも細心のご注意下さい。
微力ではございますが陰ながらご協力できればと思います。

最後に被災地の方が少しでも多くご無事であること、願わくばさらなる安心の為一刻も早く支援物資が届きますように心よりお祈り申し上げます。

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

Comments are closed.