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トルソ

gyoda

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美術の用語で「トルソ」という言葉があります。トルソとは人間の四肢、頭を除いた胴体のみの彫刻のことです。「サモトラケのニケ」や「ミロのヴィーナス」なんかは、トルソで有名な彫刻ですね。(戦いの神様のニケは、スポーツブランドのナイキの語源でもあります)

トルソという概念は「欠けていても美しい」ということで、「不完全でありながら、完全である」という意味でもあります。人間の空間補完能力が欠けている部分を完璧な形で想像するので、ユーザーはそれぞれの「完全」を得れるわけですね。僕がルーブル美術館へ行ったときに見たそれらの彫刻は、360度どこから見ても完璧な肉体で「俺の体相当ガリガリなんだなぁ…」といらんショックを受けたのを覚えてます。ただやはり肉体というモチーフに対して我々日本人は日常からそれらを意識していることは少ないので(日本の美術史では、肉体をモチーフにした作品は西洋美術に比べ圧倒的に少ない…日本人の体が貧相だからでしょうか)、肉体の美の追求といってもなあ……と思うかもしれません。なので、美しく生成されたコードを見た時のスッとする気持ちとなんか一緒!と思っておけば、ま大体良いです。(ざっくり)

ソフトウェアやアプリの開発では「不完全」なことが多々あります。これは美術用語のトルソと違ってユーザーは勝手に「補完」することはできません。なのでそれは現場の制作者が不完全を完全にしていかなければならないです。「何が足りないのか」を「補完する能力」と、それに向けて完璧まで持っていく過程をいかに楽しむか、不完全をどこまで受け入れて次に進めるか、そのマインドが重要だと私は思っています。どこまでがOKなのか、現実的にできるのかのタクトを降るのがディレクションです。なので足りないものを作ってしまったと悩むのではなくて、補完して完全にしていく過程を十分に楽しみましょう。求められているのは製品の先にある、結果なのですから。

行田(年末は趣味の漫才を見まくる)

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