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広告

gyoda

この記事は1年以上前に書かれたもので、内容が古い可能性がありますのでご注意ください。

インターネットのイノベーションがどのタイミングで自身の会社に収益をもたらすのか、その多くは”広告”というモデルになります。解り易い形のビジネスですし、最も魅せ方(否・見せ方)のデザインが問われる手法でもあります。

なんでもかんでも広告モデルか…となると、少し世界の発想が止まってしまった感じがしますが、では逆に広告の無い世界はどういうものだろうか、という疑問も出てくることでしょう。

広告の無い世界、近年(今でも)そのモデルとなるのは社会主義国家です。

統合直後の東ドイツに行った人の話しによると「そこは有彩色の無い、灰色の世界。寒くも感じたが、同時に喧噪もなく澄んだ世界でもあった。」だそうです。

ニュースで流れる北朝鮮のような世界なのかどうかは、今確かめる術はありませんので、解りません。それどころか灰色の世界と感じるか、澄んだ世界と感じるかは、当人の感覚によるところなので、言及するのは難しいでしょう。

しかしただ一つ、確実に言えるのは我々は資本主義社会の中で、広告に囲まれて暮らしているので、広告の無い世界を是とすることも、否とすることも言えないということです。

そのことを踏まえて、インターネットの広告ということに目線を置き換えてみると、「まあ汚らしいのも便利のうちかな」とも思えてきます。それどころか、華やかに飾ったスペシャルページよりも、Amazonの機械的なリコメンド機能の方が経済を潤しているかもしれません。

良い広告を見るとき、ただ単にデザインの善し悪しでなく、物事の本質や裏側の意図を推理しながら見ると良いのかもしれませんね。

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