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あなたが石コロ同然である話

beko

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 つまらない人にはつまらない話をしようと思います。
 普段私たちが生活していて、自分が生物であるとか、その辺の物は非生物であるとか、そんなことを意識することはありません。ですが不思議な話です。すべての物質は原子で、原子は詰まるところ素粒子でできています。では、本質的に私と目の前のコーラ缶を区別するものは何なのでしょう。コーラ缶の最深を突き詰めれば、人体の最深を突き詰めても見えてくるだろう”超極小のなにか”の集合であるはずです。ならば、その構成によって性質が最終的に異なるモノになるとしても、結局すべての物体は同じものでできていると言えます。
 ではなぜ、私たちは自分とコーラ缶を、「自分とコーラ缶」と区別するのでしょう。それは、私たちの持つ視覚や触覚などの感覚や、あらゆる技術によって証明されるものです。誰がどう考えても、手は手で、コーラ缶はコーラ缶です。しかし、それはあくまで私たち人間の判別によるものです。「人間」をあらゆる体系の中心に置き、自分たちと異なるものを「人間と異なるもの」とします。私たちが最も得意とする能力とは、「あらゆるものを分類すること」であり、その分類・決定を逆輸入して、人間をより高次の存在に引き上げている…そう思うと、あらゆる「自分以外のもの」が、存在意義的に自分と同じ階層にあり、道具は人間が使うものだとか、動物より人間のほうが優れているだとか、そんな優劣はもともと無かったという気がしてきます。つまり生物は非生物より高等ではなく、同じようにわたしたちもまた、他のものより優れた存在ではない、ということです。はじめから「人間」や「生物」や「コーラ缶」などというものは無く、あらゆる無限に存在していたはずのものが、すべてただ1つの存在である、という帰結に向かうことができます。
 このお話が一理あるとすれば、恐ろしい話です。これを読んでいるあなたは「かけがえのない命」ではありません。あなたは、道端に転がる、一体何のために存在しているかも分からないような石コロと何の違いもないのです。

 友達とおしゃべりしていたり、一生懸命仕事に向かっていたりすると、そんなこと考えるイトマはありませんが、ふとひと段落すると、この思考がよみがえってきます。そして何だか落ち着かないイヤな気分になります。イヤなので、またおしゃべりしたり、アルバイトしたり、もっとくだらない思考にふけったりします。

担当:菅家(物理はほぼまったく知らない)

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